2023.3.30

挫折と迷いの日々は“大いなる助走”だった――青学・原晋監督の後悔しない生き方 ~doda編集長/対談インタビュー後編~

原晋さんインタビュー 原晋さんインタビュー
原晋さんインタビュー

中学から陸上を始め、高校・大学・社会人と競技者人生を送ってきた青山学院大学陸上競技部の原晋監督。中国電力の営業を経て、2004年に同監督に就任。2009年に同校を33年ぶりの箱根駅伝出場に導いて以来、6回の総合優勝を果たすなど、その指導法は、陸上界はもちろん、ビジネスパーソンにも注目されています。「指導経験なし」「箱根駅伝への出場経験なし」「別大学のOB」という経歴のなか、異例のキャリアチェンジを遂げた原監督が、どのように自らの道を切り開いてきたのか。原監督の「キャリアオーナーシップ」、すなわち自らの意志で「はたらく」を選択することに、転職サービス「doda」の編集長・大浦征也が迫ります。

迷ったときはおもしろい道を進む

大浦:成功を求めるよりも失敗をしたくない。そんな社会風潮だというお話がありましたが、原監督は、広島の持ち家とトップ営業としての安定した道を手放して、青山学院大学の陸上競技部の監督になっています。指導者になるというのは焦がれるような思いだったのでしょうが、どうして、成功が保証されていない道を選べたのでしょうか。

原:ありきたりなことを言うようですけど、自分のやりたいことをやったほうがいいですよ。人生、一度しかないんですから。迷ったときには、攻める。おもしろそうな道に行く、というのが私の信条です。だって、必ず、あとで後悔しますよ。「あのとき、こうしておけばよかった」って。でもね、妻の立場からしたら、私のマネはしないほうがいいね。妻が疲れちゃうから(笑)。

原晋さんインタビュー

大浦:そんな(笑)。ご夫人は町田寮の寮母として慕われ、二人三脚で陸上競技部を盛り上げているじゃないですか。でも、先ほどの「後悔する」という発言は妙に重たく感じました。原監督も後悔したことがあるのでしょうか。

原:ありますよ。そもそも、私は競技者として箱根駅伝に出たかったんです。でも、高校の先生に言われるがままに中京大学に進みました。しかし、やっぱり箱根駅伝に出たくて在学時に編入試験を考えました。なのに、踏み切れませんでした。

大浦:そうだったんですね。

原:そこから、人生のボタンの掛け違いが始まります。中京大学を卒業したら教員になるつもりでした。教育実習も母校である世羅高校に行って。けれど、大学の人から「中国電力の陸上部が1期生を募集している」と聞かされて、難しい教員試験よりもラクな道を選んでしまったんです。しかし、陸上部では、故障が原因で競技生活の引退を余儀なくされました。引退後、自分でチームを持ちたいと思い、広島に本社がある「洋服の青山」の社長に直談判しに行ったことがあります。「そこまで言うなら、分かった。陸上部をつくろう。その代わり、中国電力は辞めて、うちの社員になってほしい」という条件を提示されましたが、結局、中国電力を辞める勇気がなく、断ってしまったという経験があります。

大浦:それらの後悔があったからこそ、青学の監督のオファーは手放さなかったのですね。

原:そう。青山さんに行かずに、青山学院大学に来ました。

大浦:は、原監督! ダジャレとは、おちゃめじゃないですか!!

原:(笑)

学びは“すり替えること”がポイント

大浦:原監督の普及活動もあり、駅伝全体が盛り上がっています。駅伝戦国時代と言っても過言ではないなかで、好成績を残し続けるためには、何か学びが必要なのではと思いますが、いかがでしょうか。

原:学びは、日常のなかにあふれています。私の場合は、陸上とは関係のないところで活躍している人から学ぶことが多いですね。たとえば、軌道に乗っているベンチャー企業の社長のマネジメント術、芸術分野でトップの成果をおさめた人の道の極め方。自分自身、営業パーソンとしての知見を駅伝に活かしているので、他業界の人のメカニズムやアルゴリズムに興味が湧きます。分野は違っても、活かせることばかりなんですよ。あとは、早稲田大学の大学院にも通いました。陸上競技の現場のノウハウと、学問がドッキングした瞬間です。すると、感覚で話していた私の考えを明確に言語化できるようになります、言語化できるようになると、選手たちのなかで体系化されてくる。すると、組織というのは自走していくんですね。強い組織づくりのコツだと思っています。

原晋さんインタビュー

大浦:学び直しの重要性が分かるエピソードですね。日常において気付きが多々あるなかで、どのように取捨選択して学びを取り入れているのでしょうか。

原:その思考を、うまく選手の育成にすり替えられるかがポイントだと思っています。あるとき、うちの部のグラウンドの芝を管理している企業の社長さんに、グラウンドの芝を持ち帰って自宅に植えたら、ちゃんと育つのかと聞いたことがあります。

大浦:え、どうなるんでしょう。

原:「芝を植え替えるなら、まず、根についた土を水で洗い流して、きれいにする必要があります。そうしないと、ちゃんと育ちません」と言われました。それを聞いて、私は考えました。選手も、中学・高校の昔話ばかりしていちゃダメだと。昔の土……要は考え方を払ってから、私の指導を受けてほしいと。そうすれば、ちゃんと育つからと。

大浦:たしかに、転職でも「前の会社はこうだったのに」という不満を漏らす転職者もいますが、完全に染まる必要はなくとも「郷に入っては郷に従え」の精神は大切ですよね。

原:そうなんです。

成功体験がキャリアの可能性を広げる

大浦:最後の質問です。原監督のこれまでのキャリアを振り返ったときに、何がターニングポイントになったと思いますか?

原晋さんインタビュー

原:やはり、中国電力で営業としてくすぶっていたときにチャレンジした、“提案営業”ではないでしょうか。もうね、当時の私はローカル路線をひた走る鈍行列車に乗っていたわけです。だけど、チャレンジする道を選んだことで、新幹線に乗り換え乗車することができました。このときに成果を上げられたという成功体験は、今でも私の糧になっています。

大浦:監督のオファーを受けたのも、営業としての成功があってこそというお話がありましたね。挫折しても、目標を掲げて戦略を練っていけば、いつか成功体験をつかみ取ることできる。そして、さらなるキャリアの可能性につながっていくのだと感じました。本日はありがとうございました。

原晋さんインタビュー
原晋さんインタビュー

原監督との対談を終えて

原監督はメディアでの印象そのままに、気さくでエネルギッシュ、かつユーモアたっぷりの人を惹きつける魅力にあふれる方でした。お話をうかがうと、常に未来を見据えてコトの本質を捉え、着実に前進していく。理想と現実の両方をしっかりと見つめ、実行力を高めることをバランスよく行っていると感じました。

これができるのは、電力会社時代も現在の監督業でも、常に目の前のことを極め、その領域でトップになるという強い想いを持っているからではないでしょうか。そして、その時々の自身の気持ちや想いに正直に向き合い、リスクあるチャレンジだったとしても自らの手で、チカラで未来を切り開いていくことこそが人生だと考えているからでしょう。原監督はまさに、キャリアオーナーシップの体現者だと思いました。原監督、素晴らしいお話をありがとうございました。

※掲載している内容・肩書・社員の所属は取材当時のものです。