16年間のプロ生活の中で500試合以上の公式戦に出場し、引退後はご自身の会社を設立され新たなフィールドで挑戦を続けられている、元サッカー日本代表の羽生直剛さん。サッカー選手としてのキャリアをひもときながら、ビジネスパーソンにも参考になる思考法や、「キャリアオーナーシップ」を育み発揮するためのポイントについて、パーソルキャリアのVoicy公式チャンネルのパーソナリティ 高山ゆかりさんと、スポーツ事業に携わっていた経験もある、当社 石井宏司が迫ります!
※本内容は、パーソルキャリアのVoicy公式チャンネル「はたらく応援ラジオ」から一部抜粋・編集してお届けします。以下より、全編視聴いただけます。https://voicy.jp/channel/4657
羽生直剛(はにゅう なおたけ)さん
サッカー選手として、日本代表として17試合、
プロ生活16年間での公式戦出場数は500試合を越える実績を持つ。
2020年2月、株式会社Ambition22を設立。
夢を実現した「難しいほうを選ぶ」性格~幼少期からプロ入りまで~
幼少時代から『キャプテン翼』の影響で、サッカーが大好きだった羽生さん。サッカーを選んだ時も、進学など人生における選択においても、大事にしていたことは、「自分で考えぬいて、選ぶこと」でした。
――小学校高学年には、羽生さん=サッカーというイメージがあったとのことですが、サッカーを選んだのは、どうしてだったのでしょうか?
羽生:原点は好きという気持ち。毎日サッカーがやりたくて、どこに行くにもサッカーボールを持って行っていました(笑)。そんな中で、難しいことがちょっとでもうまくなる実感があったのがサッカーだったかなと思います。周りから「お前なんて背も小さいし、サッカー選手になれるわけない」って言われていましたが、それを少しずつでも覆せていけることが自分なりにうれしかったです。
――その後、高校・大学進学・そしてプロ入りといったキャリアの選択はどう決めていったのですか?
羽生:高校進学の時には、自分は何を大切にしたいかを考え、サッカーに専念しすぎない文武両道の方針を掲げる八千代高校に進学しました。大学進学やプロ入りの時も、自分でとにかく考えて進路を決めて、親にも認めてもらっていましたね。
生涯の師 オシム監督から学んだこと
緊張感と隣り合わせのプロ生活1年目、初得点までの道のりの苦しさを、仲間や監督、そしてサッカーに真摯に向き合うことで乗り越えたエピソードを伺いました。そして、プロ2年目、ジェフユナイテッド市原・千葉でのオシム監督との出会いが、羽生さんの人生に大きな影響を与える出来事となったとのことです
――プロ生活1年目の時のエピソードをお伺いしたいです。初めてのプロの洗礼はありましたか?
羽生:試合には使ってもらっていたものの、結果がまったく出せませんでした。初得点まで7カ月くらいかかったので、先輩に「裏得点王」と呼ばれてしまって。頑張っても結果が出ないことが一番苦しかったです。でも、大事にしていたのは“今を一生懸命やる、全力をどれだけ積み重ねられるのか”ということです。その姿勢が仲間に認めてもらえて、監督にも使いたいと思ってもらえたと思います。
――羽生さんにとってオシム監督は「一番のリーダーであり、生き方であり、真似したい人」とのことですがどういったエピソードがあったのですか?
羽生:オシムさんからは、「ここにはプロフェッショナルなやつは一人もいない」「上を目指しなさい。優勝したいと思え!」と言われ、その指導は今までの当たり前を全部壊すような厳しいものでした。
それでもオシムさんと向き合えた理由はちゃんと成果が上がったことと、選手が成長したことだと思っています。試合に全然負けなくなったんですよ。あとオシムさんに「人からなんて言われようが気にするな、チャンスは絶対ある。人生をチャレンジしていきなさい」って教わったこともぼくの考え方の根底にずっとあります。
プロ時代の大きな決断。移籍を決意する際にも揺るがなかった信念
ジェフユナイテッド千葉・市原を離れる決断の決め手や、移籍先のFC東京に適応することに苦労されたエピソードを伺いました。新天地での活躍の秘訣はチームが勝つことを最優先に考えた名フォロワーとしての立ち回りでした。
――2006年ワールドカップ、2007年アジアカップでの日本代表の経験を経て2008年にFC東京へチームを移籍されましたよね。決断のきっかけについて教えてください。
羽生:ジェフがオシムさん路線を辞める流れになったことと、FC東京とぼくの目指しているサッカーがハマったタイミングだったからです。ジェフがオシムさん路線ではなくなるという変化に対して、自分がどうありたいか考えたときに、より自分が活躍できると思えるチームにチャレンジしてみようと思って決断しました。
――FC東京へ移籍された時、アスリートのキャリアとしては後半戦ですよね。長く活躍し続けられた秘訣はなんですか?
羽生:日々のチームメンバーの状態や、チームの状況を見て、チームが勝つために自分はどんな振る舞いができるかをピッチの中でも外でも意識していました。年齢とともに目立った華やかなプレーは減ったんですが、メンバーから「羽生さんがいるほうが、なんかうまくいく」と言われる機会が多くなったんです。最初は評価されなかったシーズンでも、結局選ばれていたのはチームが勝つことに貢献できていたからだと思います。
引退の決断と、ピッチ以外で輝くための新たな挑戦
「できないと言うこともプロ」と、自身の美学を貫き引退した羽生さん。そして、新しいキャリアを模索する中での葛藤を経て「再び輝くために何をすべきか?」という問いと向き合いながら、再び挑戦の道を歩む決意を固めました。
――名フォロワーとして活躍されていた中で、引退を決められたきっかけはなんですか?
羽生:最後の1年は復帰した古巣のジェフをJ1に上げるチャレンジをしにいったはずが、膝が悪くなって練習すらままならない状況になり「やれないと言うのもプロだな」と思い辞めました。自分の約束というか、美学というか、最後までそうありたいという思いでした。
――引退後、どのような思いで起業を決断されたのですか?
羽生:不安もありましたが、次のキャリアでも、もう1回輝きたいなと思っていました。引退後2年間、クラブスタッフとしてスカウトの仕事をしながら、“ぼくはこれで本当にいいのか”と考える中で、ここを飛び出してもっと大きな価値を出したいなって。唯一やったことは、やりたくないことを書き上げることです。書いてみたら、自分でやる(起業する)しかないな、と。今も不安ですけどね(笑)。
だけど、不安と向き合うのが自分だなと。みんなが失敗だと言っても、自分の中で「グッドルーザーだったって言われるようないいチャレンジしたよな」って思えればそれでいい、というのはあるかもしれないです。結局自分がどうしたいのか、かなと。
――最後に、「自分の力でキャリアを選択していく」キャリアオーナーシップを発揮するためのポイントや、読者へのメッセージをお願いいたします!
羽生:キャリアを自分で築いている時に、ほかの人の成功と比べたら成功じゃないと思ってしまうかもしれないけど、自分の中で「成功だ」「これを選ぶ」ってちゃんと言えている人が、ぼくはかっこいいと思っています。怖がらずに進んでいくことや、自分の信念・進みたい道を示すことができるような人が増えると、かっこいい人が増えると思うので、何かヒントになったらうれしいです。
羽生さんへのインタビューの全編は、Voicy「はたらく応援ラジオ」にて配信中です!
※掲載している内容・社員の所属は取材当時のものです。
編集:パーソルキャリア広報部